現場思考力ゼミ ―中学入試を使って現場思考力を培う―

現場思考力とは、与えられた条件や自分の持っている常識、知識を組み合わせて、何らかの推論や結論を出す力のことをいいます。中学受験の社会入試問題を使って、現場思考力の養成をはかることを目的に、2014年に双方向性を持ったブログとして運営していました。生徒の答案を添削して公開するという取り組みでした。このブログではその問題と解説の一部を保存しています。

15成蹊H24 問題(中学入試で培う現場思考力)

第15回は、成蹊中の問題です。

 

 日中戦争では、日本軍は中国の首都である南京の占領にあたって中国人捕虜や多数の民間人を大量虐殺し、国際的非難を浴びました。しかし、中国側は首都を奥地に移し、日本の侵略に対しねばり強く抵抗し、日中戦争は日本の意図に反し長期戦となりました。これにともない日本軍の兵力も、1937年に63万人だったのが翌38年に116万人へとほぼ倍増し、敗戦時の1945年には720万人にまで急増しました。戦争終結の見通しもたたない侵略戦争に動員される日本軍兵士は、長期にわたって昼夜の区別無く、精神的にも肉体的にも異常な緊張を強いられました。こうして日中戦争を境に長期化する戦争は日本軍兵士にさまざまな影響を与えることになりました

 

問 文中下線部に「戦争は日本軍兵士にさまざまな影響を与えることになりました」とありますが、どのような影響なのか、本文と資料2、資料3を参考にして二つ指摘しなさい。


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14栄光学園H18 解答解説(中学入試で培う現場思考力)

なぜ、長崎は「ナガサキ」になってしまったのか。原爆が長崎に投下された理由とは?

 

 194586日に広島、89日に長崎と日本は2度も原子爆弾による攻撃を受けています。そのことはおそらく日本人なら誰しも知っていることでしょう。多くの人が亡くなり、後遺症にも苦しみました。原爆についてはわざわざ使用する必要があったのか、民間人の大量虐殺ではないかといった議論もあります。

 

アメリカのオバマ大統領は「核なき世界」を目指し、プラハで演説を行い、その後ノーベル平和賞を受賞しました。しかし、核兵器の廃絶は長く険しい道のりであり、現実的には難しいことかもしれません。

 

 それでも、被爆国として日本が伝えていくことはあるでしょう。原爆ドーム世界遺産に登録されていますが、これは「負の遺産」といって、戦争や核兵器の恐ろしさを後世に伝えていくためのものだと言われています。同じような「負の遺産」には、ナチスユダヤ人を虐殺したアウシュヴィッツ収容所や、水爆実験が行われたビキニ環礁があります。

 

 さて、今回の問題は「なぜ長崎に原子爆弾が投下されたのか」というものです。東京や京都、大阪ではなく、なぜ広島だったのか、なぜ長崎だったのか。今回は資料を読み進めながら、長崎に原爆が投下された理由を探していきましょう。

 

 長崎は造船業がさかんでした。その造船業では軍艦も造っていたと書かれています。そして、太平洋戦争中には、長崎の造船所や工場で盛んに軍艦や兵器が作られるようになった、とも書かれています。これは大きなヒントになりそうですね。戦争を終わらせようとアメリカが考えたのであれば、軍艦や兵器を作る拠点を狙った方が良いわけです。実際は原爆の威力を試したかったのかもしれませんし、戦後の国際的な立場を高めるために核兵器の威力を世界中に見せつけたかったのかもしれません。しかし、そういうことを知っていても問題では「栄一君が調べた長崎の町の特徴を参考にして」いなければならないので、書くべきではないでしょう。

 

 ちなみに、広島市太田川の河口部分の三角州に開かれてから、中国地方の中心都市でした。陸軍の施設が広島に置かれていたことも理由の一つでしょう。もっとも、軍事的な目標としては、広島市の南部に位置する呉市の方が向いていたのでしょうが。

 

 暑い夏が続きますね。69年前の夏が空爆に怯え、原爆を投下されたおそろしい夏であったとは考えられません。これからも「考えられない」状態でありつづけられるように願うばかりです。

 

解答 軍艦を作る造船所や兵器を作る工場が多い長崎は、軍需施設が集まっていると

          みなされて標的となったから。(48字)

 

 

 

 

 

 

14栄光学園H18 問題(中学入試で培う現場思考力)

第14回は、栄光学園中の問題です。 

 

 ぼくが見た中で、いちばん印象に残っているのは長崎原爆資料館です。最後に、原爆に関係したことを書いて終わりにします。
 1941年に太平洋戦争がはじまり、長崎の造船所や工場でも盛んに軍艦や兵器が作られるようになりました。戦争が長引くと、人々の生活は大きく変化していきました。アメリカ軍の飛行機が爆弾を落として、全国の各地で多くの人々の生命がうばわれました。そんな中、1945年8月9日午前11時2分、長崎市の浦上に原子爆弾が投下されました。爆心地のあたりは一瞬のうちに町全体が破壊され、多くの人が亡くなりました。しかし、被害はこれだけでは終わりませんでした。原子爆弾はそれまでの爆弾とはちがう新型のものだったからです。長崎原爆資料館では、当時の悲惨なようすについて知ることができました。
 日本が無条件降伏をしたのは、長崎へ原爆が投下されてから1週問もたたない8月15日のことです。日本の敗戦後、戦争の反省を生かし、新しい憲法が生まれました。その前文の中には、二度と戦争を起こさないという平和への決意が記され、第9条には具体的にどうするのかが書いてあります。長崎でも毎年、原子爆弾が落とされた8月9日に、被爆者を追悼するとともに、核兵器の廃絶を世界に向けて訴える集会が開かれています。

 

 ぼくは、ここまで調べてみて、長崎は時代とともにいろいろな顔を持った町だと思いました。そして現在は、やはり原子爆弾を落とされた町として、世界に平和をアピールし続けているというイメージがぼくにはとても強いです。このような町があるのは大切なことだと思います。

 

下線部について、なぜ長崎に原子爆弾が投下されたのかを、栄一君が調べた長崎の町の特徴を参考にして答えなさい。

 

 

字数指定:50字程度

13渋谷教育学園幕張H22 解答解説

「きれいな夕焼けだと次の日は晴れやすい」のはなぜ?

 

 昔からの言い伝えというのは、どこかで耳にしたことがあるでしょう。どうしてそうなるのかということが科学的に実証されていなくても、経験則から気づいた知恵を代々言い伝えてきたのです。それによって不測の事態に備えたり、明日以降のことを予測して対応していたのだと思います。

 

たとえば、「宵越しの茶は飲むな」という言い伝えがありますが、まさかタンニンが酸化して…なんてことを知っていた人が言い始めたわけではないでしょう。おそらく、急須に入れたままにしていた茶葉で翌日お茶を飲んだら胃が痛くなった人がいた、その話は自分も聞いたことがある、と伝わっていったのだと思います。

 

 「雷なったらへそ隠せ」というのは子どもでも知っているかもしれません。おへそを取られてしまう、というのは方便で、おそらくは気圧が変わったり寒くなったりすると風邪を引きやすいから、おなかを出して寝ることがないようにということで伝わっていったのだと思います。

 

 さて、今回の問題。

 まず、日本の上空には強い偏西風が吹いていて、風は西から東へと流れています。もちろん雲も西から東へと移動していくわけです。そして、太陽は東から昇って西に沈むので、きれいな夕焼けが見えるということは、西の方角に雲がないということになります。

 

 西に雲がないということは、しばらくの間、雨雲が来ることはないだろうということで、「きれいな夕焼けだと次の日は晴れやすい」のです。

 

 同じような言い伝えとして「朝焼けは雨」というものがあります。朝焼けが見えるということは東の方角が晴れているということです。天気が西から東へと移っていくのですから、東側がすでに晴れていれば、そろそろ西側から雨雲が来るのではないか、と思えるわけですね。

 昔の人は天気予報がない中でも、こうやって天気を予測していたのです。

 

 「朝の虹は雨」というのも同じような言い伝えです。朝、虹が見えるということは太陽と反対側の西側で雨が降っていたことになりますよね。西側で雨が降っているということは、これから雨雲が近づいてくるだろうということです。

 

 それにしても、昔からの言い伝えを中学受験の知識を結び付けて答えさせる良問でしたね。こういう問題が出されると、受験生もわくわくするでしょう。

 

解答

日本の上空には偏西風が吹いており、天気は西から東へと移りやすい。夕焼けが見えるということは太陽が沈む西の方角の雲が少ないということなので、しばらく雨雲が来ることは考えにくいから。

 

13渋谷教育学園幕張H22 問題(中学入試で培う現場思考力)

第13回は、渋谷教育学園幕張中の問題です。 

 

 「きれいな夕焼けだと次の日は晴れやすい」というものがあります。なぜ夕焼けだと翌日は晴れやすいのですか。方角を必ず入れて答えなさい。

 

 

字数指定:100字程度

12麻布H24 解答解説(中学入試で培う現場思考力)

 「お金」のように価値があると信じ込んでいるから成り立っていることがらとは?

 

 ヨーロッパの金融危機では、ユーロの価値が暴落しました。ギリシャがユーロから脱退するのではないか、そうなるとユーロの価値は著しく低くなってしまうのではないか。そう思った人がユーロを売ったという面もあったのです。

 

現在のお金のしくみが保たれているのは、人びとが価値があると信じ込んでいるからこそだと問題に書かれていますね。お金は単なる紙や価値が高いわけではない金属でできていますが、何かものを買うときに交換できると思っているから成り立っているのです。

 

 今回の問題は難しいですね。お金のように価値があるとみんなが信じているからこそ成り立っていることは、他にどんなものがあるのでしょう?お金のように、本来のそのもの自体(紙や金属)には価値があまりないのに、信用によって高く評価されているもの。

 

 たとえば、土地がその一つでしょう。バブル景気のとき、土地の値段がもっと上がるかもしれないと考えた人びとは、土地をどんどん買っていきました。そうすると値段が上がります。その繰り返しで、びっくりするほどの値段になってしまったのです。「もっと上がるはずだ」という人びとの思い込みがあったのです。ただ、バブル景気の人びとの思い込みにより成り立っていることが何かと聞かれると、不動産市場になるでしょうか。答えにくいかもしれません。

 

成り立っているものが不動産市場とすると、高級住宅街とされている土地に注目してもいいでしょう。本来のその土地の価値(住みやすさなど)以上に、イメージで地価が高くなっていると説明できますね。

 

 あるいは、土地全般に注目してはどうでしょうか。土地の値段がついているのは、その土地の価値が失われることがないという人びとの思い込みがあるからです。しかし場合によっては、その価値が著しく低くなってしまうかもしれないのです。たとえば地震や洪水。そういう天災によって土地の価値が低くなることもあるでしょう。家やマンションのような建物に注目すれば、地震により建物の価値がなくなってしまう可能性を書くこともできるでしょう。

 

また、この問題が2012年に出題されていることから、前年の東日本大震災と結びつけて考えることもできるという出題者の意図があったのかもしれません。地震津波のみならず、原発事故によって自分の土地に住むことができなくなった人もいます。価値があると思い込んでいることが、一瞬にして失われることもあるのです。

 

 もちろん、土地以外に注目しても構いません。お店独自のポイント、株などいろいろなテーマで答えを出すこともできます。

 

 

解答 

 土地に値段がつき売買されている。それは、その土地の価値に変動があったとしても、住むことができない土地になることはないという思い込みがあるからである。(74字)

 宝石は高い値段で取引されているが、本来は単なる鉱物である。誰もがその色を美しいと感じて高い値段で買うだろうという思い込みがあるからこそ成り立つ取引だと言える。(79字)

 大多数の人々が法律の範囲内で生活しており、社会の秩序が保たれている。法律は守るべき価値があるものだという思い込みによって、法律が機能しているのだと考えられる。(79字)

 

 

12麻布H24 問題(中学入試で培う現場思考力)

第12回は、麻布中の問題です。 

 

人びとが価値があるということを信じ込んでいるからこそ、現在のお金のしくみは保たれているのです。(本文より)

 

世の中には、人びとの思い込みにもとづいて成り立っているようなことがらが多くあります。具体例を1つあげ、それについての人びとの思い込みがどのようなものか、説明しなさい。