現場思考力ゼミ ―中学入試を使って現場思考力を培う―

現場思考力とは、与えられた条件や自分の持っている常識、知識を組み合わせて、何らかの推論や結論を出す力のことをいいます。中学受験の社会入試問題を使って、現場思考力の養成をはかることを目的に、2014年に双方向性を持ったブログとして運営していました。生徒の答案を添削して公開するという取り組みでした。このブログではその問題と解説の一部を保存しています。

14栄光学園H18 解答解説(中学入試で培う現場思考力)

なぜ、長崎は「ナガサキ」になってしまったのか。原爆が長崎に投下された理由とは?

 

 194586日に広島、89日に長崎と日本は2度も原子爆弾による攻撃を受けています。そのことはおそらく日本人なら誰しも知っていることでしょう。多くの人が亡くなり、後遺症にも苦しみました。原爆についてはわざわざ使用する必要があったのか、民間人の大量虐殺ではないかといった議論もあります。

 

アメリカのオバマ大統領は「核なき世界」を目指し、プラハで演説を行い、その後ノーベル平和賞を受賞しました。しかし、核兵器の廃絶は長く険しい道のりであり、現実的には難しいことかもしれません。

 

 それでも、被爆国として日本が伝えていくことはあるでしょう。原爆ドーム世界遺産に登録されていますが、これは「負の遺産」といって、戦争や核兵器の恐ろしさを後世に伝えていくためのものだと言われています。同じような「負の遺産」には、ナチスユダヤ人を虐殺したアウシュヴィッツ収容所や、水爆実験が行われたビキニ環礁があります。

 

 さて、今回の問題は「なぜ長崎に原子爆弾が投下されたのか」というものです。東京や京都、大阪ではなく、なぜ広島だったのか、なぜ長崎だったのか。今回は資料を読み進めながら、長崎に原爆が投下された理由を探していきましょう。

 

 長崎は造船業がさかんでした。その造船業では軍艦も造っていたと書かれています。そして、太平洋戦争中には、長崎の造船所や工場で盛んに軍艦や兵器が作られるようになった、とも書かれています。これは大きなヒントになりそうですね。戦争を終わらせようとアメリカが考えたのであれば、軍艦や兵器を作る拠点を狙った方が良いわけです。実際は原爆の威力を試したかったのかもしれませんし、戦後の国際的な立場を高めるために核兵器の威力を世界中に見せつけたかったのかもしれません。しかし、そういうことを知っていても問題では「栄一君が調べた長崎の町の特徴を参考にして」いなければならないので、書くべきではないでしょう。

 

 ちなみに、広島市太田川の河口部分の三角州に開かれてから、中国地方の中心都市でした。陸軍の施設が広島に置かれていたことも理由の一つでしょう。もっとも、軍事的な目標としては、広島市の南部に位置する呉市の方が向いていたのでしょうが。

 

 暑い夏が続きますね。69年前の夏が空爆に怯え、原爆を投下されたおそろしい夏であったとは考えられません。これからも「考えられない」状態でありつづけられるように願うばかりです。

 

解答 軍艦を作る造船所や兵器を作る工場が多い長崎は、軍需施設が集まっていると

          みなされて標的となったから。(48字)